ゲーム制作素人のUE4日記

ゲーム専門外の建築家が、趣味としてゲームを作ってる日記。ゲーム制作はど素人。

ゲームの魅力とは

大学を卒業して久しくなりますが、最近また時間ができたので、本当に年単位ぶりにUE4でゲームを作ろうと思い、プロトタイプを作りながら動作の確認をしているわけですが、メインに建築をやっていたからか、ゲームに対する見方が変わってきているのかもしれません。最近ゲームに魅力を感じなくなりつつあります。その点について俺なりの意見を提示し、解決策を考えることで、これから作るゲームの道しるべとしていこうと思います。

要はゲーム作っていて方向性を見失った。だからこの場で整理したい。ということです。

※あくまで俺の体験から推察することで、事実とは異なると思います。

ゲームの魅力

人がゲームに惹かれる(少なくとも世界中で軽視できないほど多くの人が、ゲームに魅力を感じている)のは間違いのないことですが、そもそも、人はゲームの何に・どういう要素に惹かれているのかというところがわからなければ、作り手は的を射ないものを作っているということになります。もちろん、作りたいもを作れるのがインディーズクリエイターの特権ですが、自己満足で済ますのなら、自由に作っていいでしょう。でも他人と共有したいと思うなら、作り手はプレイヤーの視点、つまり、自分以外のペルソナの視点を持って、どういうゲームなら楽しんでもらえるだろうか、ということを考えなければならないと思うのです。ビッグタイトルを志さなくても、マイノリティ向けに作るものでも自分とは別人格の他人がプレイするわけだから、これはゲームクリエイターとしての使命とも言えます。

俺の経験

そこで、自身がゲームにハマった時の経験を考えてみます。俺の経験では大きく二つ。少年時代に、PC/コンシューマー問わず、どんなゲームでも魅力的に見えていました。また、高校生のときから今まで、スマホ黎明期にスマホゲームのビッグウェーブに、身近な集団の中では誰よりも早く乗っかって、モバイルゲームの進化を目の当たりにしています。この二つの時期では、それぞれゲームの楽しみ方が変わっていました。さらに、ここ十数年の話ですが、世俗のゲームに対する認識とプレイヤー層が大きく変化しているように思えます。その辺りのことを述べていきます。

少年時代のゲーム

子供の頃は誰しもそうだと思いますが、ゲームが好きです。それはコンピュータゲームだけじゃなくて、鬼ごっこやままごとなど自然的な遊びから、トランプやカードゲーム、時にはボードゲームでも。ただ今回はコンピュータゲームだけに絞っていうと、子供にはとても高価なものなので、ソフトは親が買います。流行り云々より、体験ベースで述べさせてもらうと、そのころの俺にとってのゲームの魅力は、自分の思い通りにキャラクターが動いて、自分の選択に応じた結果が得られる楽しみがあったように思います。勝ち負けや上手い下手とか以前に、ゲームをプレイしているのが楽しかったです。もちろん、勝つと嬉しいし、負けると悔しくて、恥ずかしながらコントローラを何度も投げましたが、それは兄が容赦なくいたぶってきたり、親がうるさかったりとゲーム以前の理由で、ゲーム自体はいくら難しくても、何度もチャレンジしました。

自己実現の欲求

スマホ黎明期、バッテリーがすぐになくなるという理由で二台持ちが当たり前で、iPhoneはまだしもまだAndroidで3Dゲームが動くことすら怪しかったとき、スマホゲームと言えばパズル系やトリック系の頭を使うものが多く、キャラクター物が稀でした(多分)。あったとしても、グリーとかモバゲー系のケータイゲームやブラウザゲームの移植がメインでした。中には、スマホ特有のインターフェースであるフリックを活かした音ゲーFPSなどでもヒットしたものはありました(知る人ぞ知る伝説の3DMMOやジャイロを生かした戦闘機ゲームなんかも目を見張るものもありました)が、収益性のモデルがなかったからか、作り込みが少なくゲーム自体が浅い、すぐに底についてしまうようなものが多かったので、誰もが知るようなゲームはなかったのだと思います。そこに一世を風靡した某パズルゲームが、おそらく世界規模でスマホゲームのはじめのターニングポイントだったと思います。その当時は薄い繋がりでしたがソーシャル要素があることから、ソシャゲなどという言い方もしていましたね。この頃までは、ゲームはマズローの欲求階層でいう自己実現の欲求という点で魅力的だったのではないかと思います。
この頃、世間のゲームに対する目が、まろやかになってきたように感じます。というのも、それまではゲームと言えばオタクというような評価をされてもおかしなことではなく、スマホにゲームを入れる人はちょっと浮いたようなイメージを持たれていたのですが、ゲームがカジュアルになったというか、多くの人がスマホを起点として、ゲームをし始めました。ハッキリ言いましょう。オタクになるハードルが下がり、オタクがふました。

承認欲求

ここから、スマホゲームは一気にタイトルが増えました。一つの収益性としての成功事例ができたことと、デバイスがハイクオリティになったことが大きな要因だと思います。グラフィックが綺麗なゲームはもちろん、MMOやFPSなど、数年前のPCゲームのクオリティのものがスマホに登場し始めます。また、有名タイトルのスマホ移植版や、スピンオフ作品とも言えるものが出てきたり、漫画やアニメ・映画とのコラボがあったりして、スマホゲーム市場は、もはやマネーゲームと化したといっても過言ではないでしょう。そんな中で次に起こったのは、PCゲームなどで流行っているゲーム・流行り始めたゲームを流行っているうちにスマホ向けにいわゆるパクリゲームを作る風潮です。これもある種大きなターニングポイントとなりました。それに対抗するように、最近では本家側が負けじと公式のスマホ移植版を、リリースする風潮があります。
この頃には、e-Sportsがマスメディアに取り上げられたり、大会を行ったり各地に拠点ができたりと、ゲームは広く認知される存在となりました。おそらく、コンピュータゲーム世代が時代を支配し始めたというのも大きな要因です。ゲーマーが爆発的に増え、プロゲーム選手などの憧れがあったり、またSNSを活用したりソーシャル要素が大きくなることで、ゲーマーの中には、褒められたい・賞賛されたいなどの承認欲求をベースとした魅力が生まれてきていました。いわゆる俺TUEEEをするためのゲームが目立ってきます。

社会的欲求

先ほど少し述べましたが、ゲーム内のソーシャルシステムであるギルド機能やSNS等をベースとしたコミュニティの形成もゲームの魅力の一つです。ゲームという非日常の体験の中で出会う相手は、やはり非日常のつながりを感じることができ、日常の知人や友達では補填できない役割を持ちます。自分の好きなゲームのことを理解し共感する話し相手でもあるし、日常では明るみに出せないことを匿名のもとで共有したり、新しいゲームなどの情報源であったり、自分の本心をさらけ出せる環境でもあります。匿名ながら、自分自身の分身を作り出し、コミュニティに参加することで、ある種マズローの欲求階層の社会的欲求を満たせているという魅力にも繋がっています。

現在のゲーム市場

モバイルゲームを軸として、ゲームやゲーマーの変化を伝えてきましたが、現状のゲーム市場に疑問を感じることが、今回ゲームを作ろうとした時に大きく感じました。特に感じるのは、ビッグタイトルや大ヒットシリーズ最新作が多くあるのに、あまり聞かないゲームが入れ替わり立ち替わりしている状況があったり、スマホゲームに至っては、アーケード系のいわゆる暇つぶしゲームがトップの大半を占めています。ビッグタイトルや大ヒットシリーズ最新作は、固定票とも言っていいでしょう。信仰とも言えるかもしれません。有名アーティストがニューシングルをリリースした時のように、いい悪い関係なく前もって情報を得て、間違いなくプレイする人がいて、急激なアップダウンがないゲーム。入れ替わり立ち替わりは浮動票、つまりハマってないか、もしくはハマっても短期間でやらなくなっている、話題性のあるゲームと言えます。ここの話をしたいのと、最後のスマホゲームで起きている現状を読み解いていきます。

需要と供給のギャップ

ゲーマーが話題のゲームを、少し触ってやらなくなるのは、魅力不足というよりかはむしろ、既視感とも言えるのではないかと思います。というのも、今日のゲーム市場には、数えられない数のゲームがありふれていて、スマホのおかげかゲーマーがこれまでに体験したゲームも十年前に比べると爆発的に増えています。要するに、FPSマニアなどのコアなゲーマーを除いて、ライトゲーマーはほぼ全てのジャンルのゲームをし尽くしたような状態なわけです。無意識の中にも目新しさを求めて話題の最新ゲームをしたりするのですが、結局ゲームの流れって他のゲームを参考にしたりするわけで、ゲーム通となったゲーマーたちは、そのゲームを少しさわればゲームの全貌、クリアまでの道筋がデジャブっているのではないかと推察できます。市場に新しく流れてくるゲームは、システムこそ新しいものの、結局エンドコンテンツまでのゲーム全体のフレームは使い回しだったりするので、バトルシステムが珍しくても、慣れれば珍しくないのです。だんだん敵が強くなって難しくなったり、クエストをこなして強くなったり、勝てばランクが上がって強い相手と戦えたり、よく育てられたゲーマーには同じだとバレています。もしかするとシステムとフレームが融合すると新しいワクワクしたりするコンテンツが生まれるような流用の仕方だとまた別かもしれません。かなりゲームを否定してしまいましたが、大事なことは、今市場にあるゲームとゲーマーがハマるゲームにはギャップがあるということです。

時代の変化

また、ゲーム業界だけのみならず、様々な業界でクリエイターが困難に陥っています。ゲーム屋でゲームを買うことは少なくなり、ダウンロードが標準化しつつありますが、音楽業界は最もたるもので、レコード店は潰れていく一方で、主な市場はストリーミングサービスや動画サイトに変わっています。これによって収入のモデルが変更されているのと、無名・若手のアーティストにとってかなり酷な状況と言えます。また、近年は誰でもググって同じ情報を得ます。これは、ウェブ上の情報が必要十分以上に溢れているなかで、情報は精査され、一般化・統一化されていく風潮があるからです。情報の中で、強い情報と弱い情報ができてしまうわけです。例えば、ゲームの評価が☆2だとして、☆1+☆1+☆4の3つのレビューがあれば、☆4のレビューも読んで判断すると思いますが、1000人のレビューで☆2の結果だと、☆4や☆5の意見は希薄化されます。これが弱い情報です。ゲーム情報も同じで統一化され、バックが弱い情報は、メディアに取り上げられた情報に淘汰されていきます
さらには、先ほどモバイルゲームを振り返った中でも書きましたが、ゲーマー人口が増え、ゲームの楽しみ方も変化してきています。これまでのことは書きましたが、これからも絶え間なく、しかも加速度的に変化していくでしょう。その時代にあった楽しみ方を提供しないと長続きしないことは、過去の知る人ぞ知る名作ゲームが証明している通りです。

これからのゲーム

じゃあこれからどんなゲームを作っていけばいいかというところを述べていきます。今後の流行りを予測するのも一つの手ですが、外れる可能性もありえますが、今後5年間は不変であろうゲームの種類があります。流行りはその時開発中のゲームタイトルや、ゲーマーたちの移動パターンから推測されるのですが、インディーズとして作っても、そういうゲームは大手ディベロッパに負けます。あるいは後書きされていくこともあるでしょう。あのゲームの前に似たゲームを作ってたんだ、売れたのはあっちだけど。となるオチです。

子供向け

子供はゲームが好きです。これは間違いのないことです。しかし、これまでと違うのは、今までの子供は親が買ってきたゲームをしていましたが、これからは子供が親にゲームをさせます。行為の話ではなく、文化として、子供がハマったゲームを親がします。単なる補助プレイではなく、一緒に共感できる身近なコミュニティとして、家族が活用されます。親もゲーム世代で、かつクロスプラットフォームが主流の時代になってきているので、家族で一緒になって楽しめる、各世代にウケのいいゲームが長く最後までプレイしてもらえるでしょう。

e-Sports

コアなゲーマーを獲得するには、シリーズ物を除いてはe-Sportsが筆頭になります。ゲーマー人口が増えた今日、承認欲求を持ったゲーマーは、全員PvPものに移行しています。しかし、e-Sportsタイトルは一流プレイヤーが椅子を離さないから、新規の参入者向けに新規のスタイル・ルールのゲームは増え続けるでしょう。その中でスポーツ性の高いもの、つまり明確な勝ち負けがあり、ゲーマーの頭脳・テクニック・予測や運など第六感で決まるものがよく、さらに言えば負けても納得できるもの、かっこいいプレイ・粋なプレイができるものならなお良しです。脳汁プシャーなら何もいうことありません。

総合芸術

芸術としてのゲームは近年頭角を現わしつつあります。ストーリーが凝っていたり、絵作りがオシャレだったり、音楽が綺麗だったり、世界観に惹かれたり、プレイしてみてスッキリしたりなど、勝ち負けは度外視してもっとこのゲームで遊びたいという思いを途絶えさせない、総合芸術としてのゲームです。総合芸術の最もたるもの、映画と同じで、作りはじめに明確なコンセプトがはっきり決まってないと、何がしたいのかわからない中途半端な作品になります。しっかりとしたコンセプトがあり、全てのコンテンツがそのコンセプトに沿っていれば、それは人に感動を与える、魅力的な芸術であることは疑う余地もありません。

まとめ

こんな感じの記事を書きました。未来の俺がこれを参考にしながら、ゲーム作りを進めて行って、是非ともいいゲームを作って欲しい。